格闘小説『武士猿(ブサーザールー)』の感想。“手”で沖縄武士の誇りを取り戻す!

格闘小説『武士猿(ブサーザールー)』の感想。“手”で沖縄武士の誇りを取り戻す!

2022年6月29日

今回の記事では、格闘小説『武士猿(ブサーザールー)』の感想を書いていきたいと思います。『武士猿』は、『隠蔽捜査』シリーズで知られる小説家・今野敏(こんのびん)氏が、琉球空手をテーマに執筆したシリーズ小説『琉球空手シリーズ』の一作です。この琉球空手シリーズは全部で5作あり、『武士猿』は刊行順でいうと2番目にあたります。本稿では、まずはじめに簡単に物語のあらすじを振り返り、その後で『武士猿』の特徴や感想などを書いていきます。ネタバレに繋がる表現は避けているので、“これから『武士猿』を読みたいと考えている”という方も、その点は安心してお読みください。

『武士猿』のあらすじ

物語の大筋は、「明治初期、琉球王朝の子孫として生まれた本部朝基(もとぶちょうき)が、当時失われつつあった沖縄武士の誇りを取り戻すべく“手(てぃー)= 空手”の道を極める」というものです。朝基は、沖縄の独自の文化である「掛け試し(かきだみしい)= 試合」や内地での他流試合を通じて、ひたすらに“手”の道を極めていきます。薩摩藩の元侍と真剣勝負をしたり、ボクシングのリングに飛び入りで上がって大柄なロシア人ボクサーと試合をしたりと、戦う場所や相手を選ぶことなく「かきだみしい」を重ねます。戦う場所や相手を厭わないその姿勢は、朝基が考える“手の武術思想”からきているもの。朝基は「手は実践的な格闘術である。万全な状況でしか機能しないのは手とは呼べない。どのような状況でも、この場でいきなり仕掛けられても対応できるのが手なのである」と考え、それを体現するためにあらゆる場面で多様な相手と戦ったのでした。自らの武術思想に基づいて鍛錬を重ね、異種格闘技戦も積極的にこなしていく朝基。生活の全てを手に捧げ、ただひたすらに「真の強さとは何か?」を追い続けた男が最後に手にした答えとは––。『武士猿』は、そんな「手に全てを捧げた男」の物語です。

『武士猿』は武道家による武道小説

『武士猿』の著者である今野敏氏は、作家だけでなく「今野塾」という空手塾を主催する武道家の一面も持っています。つまり、『武士猿』は本物の武道家が書いた武道小説なのです。自身の確かな経験を元に書かれているので、格闘描写はとてもリアリティがあります。特に空手の修行に関する描写は、空手のことをよく理解していない私でも実際の動きが目に浮かび、その理論体系にも「なるほど」と納得できるぐらい、分かりやすく細やかに描かれているのです。

また、朝基が他の闘技者と戦う「試合」の部分も非常に読み応えがあります。闘技者の心理状態や場の空気感が仔細に描かれており、特に物語の中盤「“女武士”ナビーとの戦い」は朝基の命を懸けた覚悟が迫真で伝わってきて、個人的な名場面のひとつです。

とにかくテンポがよくて読みやすい

これは今野敏氏の文体がそうだからだと思うのですが、『武士猿』は文章や展開のテンポがよいのでとても読みやすいです。文庫本で400ページほどのボリュームなので、いわゆる長編小説の部類にカテゴライズされる作品かもしれませんが、改行や会話文が多いため文章の量自体はさほど多くなく、読み終えるのにそれほど時間はかかりませんでした。

また、今野敏氏の文章はリズムが大変心地よいです。『武士猿』は朝基の一人称視点から描かれており、朝基の思考や見えている風景を追いながら読者は物語へ入り込んでいくわけなのですが、“思考”という抽象的な描写と“見えている風景”という写実的な描写のバランスが丁度いいので、どちらかへの偏りに違和感を覚えることなくスムーズに読み進められました。

他の『琉球空手シリーズ』も

冒頭でも書いた通り、『武士猿』は琉球空手シリーズの2作目の作品です。現在この感想を書いている2022年6月の時点で、他に4作品が刊行されています。その4作品とは、『義珍の拳, 2005.5.26』『チャンミーグヮー, 2014.9.5』『武士マチムラ, 2017.9.26)』『宗棍, 2021.6.4)』です。まだいずれの作品も読めていないので、いつかこれらも読みたいと思います。順番を守るなら『義珍の拳』から読んでいくのが良さそうですが、2作品目の『武士猿』から読んでしまった手前、次は『チャンミーグヮー』を読んだ方がよいのだろうかと悩みますね……。また読み終えたら感想を書きたいと思います。次はもう少し詳しい内容を踏まえながら感想が書けたらいいな。

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